俺にとって愛すべき新宿という場所について

俺にとって気兼ねなくいける場所――新宿。誰かに気を遣ったり、服装にこだわったり、やたらと構えたりせず、ありのままの姿でぶらりと立ち寄ることが出来る新宿が、俺は好きだ。このサイトではそんな俺の好きな新宿と、その歴史や成り立ち、そしてその新宿が舞台になった愛すべき物語や映画などについて語ることにしよう。

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ゲイタウンの新宿二丁目


 新宿二丁目(しんじゅくにちょうめ)は今現在も比較的同性愛者向けのクラブやバーが集中していることから、ゲイタウンとして知られていますが、元々江戸時代には一般的な宿場町として、また一部の区域は色街として栄えていました。このページではそんなゲイタウンとしての新宿二丁目について語り尽くそうと思います。

何故ゲイタウンなのか?

 新宿二丁目は未だ、ゲイタウンとしても知られています。地価の高騰につれて店をたたむクラブ等も増えてきてはいるが、それでもまだゲイタウンとしての趣があります。特に新宿二丁目の住民や商店、企業の全てがゲイと関連しているわけではないのですが、新宿二丁目、ないしは二丁目という言葉は、日本を代表するゲイタウンの代名詞として知られています。「仲通り(なかどおり)」と呼称されるおよそ240メートル弱のメインストリートには、殆どのゲイバー等があって、ゲイグッズを扱うショップ、さらには同性同士で利用可能なホテル等が集まっています。

 しかし、一方で新宿3丁目や5丁目等の周辺にもゲイバー等のゲイスポットが点在していることから、基本的にゲイタウンと呼べる範囲は二丁目を中心とした新宿全域まで広がるという見解もあります。また二丁目から遠く離れた歌舞伎町や、北新宿、西新宿、代々木等にもゲイスポットがあって、殆どのゲイが集うゲイタウンとして非常に有名になっています。

 ただ、最近ではこのゲイスポットがある種異性愛者の観光スポット化してしまっているという動向もあることから、最近では若干ゲイの二丁目離れが進んでいるとの実情もあるらしいです。

何故二丁目にゲイが集ったのか?

 一般的にゲイをカミングアウトする事は相当の勇気が必要な物でありますので、一般社会の中では異性愛者を装って暮らしている人が非常に多いです。そんなゲイたちが心をオープンにできる場所であるゲイバーやゲイクラブ等のお店が二丁目には多数取りそろっていたことから、東京近郊は勿論のこと、全国からゲイが集まり始めたと言われています。そして、最近では、単なるゲイだけではなく、オネエや女装家等の異なる型の人も訪れるようになっているとのこと。しかし、ニューハーフや女装系のお店は若干少なく、基本的に女装者コミュニティーは新宿二丁目ではない場所にあると言われています。勿論オネエ系等に関しては比較的多い動向もありますが、やはりメインとなっているのはゲイでありますので、まさしくゲイタウンとしてふさわしい趣があると言えるのだろう。

 また現在新宿歌舞伎町ではアジア系暴力団等が活躍している事により、非常にカオスな状況になってはいるが、二丁目はゲイタウンでありますので、元々男の人で構成されているという特性もあってか、暴力団が介入する事は基本的に少なく、そういう意味では安全な街であると言えよう。

 逆に異性愛者の女の人にとっては全く心配がない為、楽しく安心して遊べてしまうという利点もあるのですが、その一方で、ゲイの男の人からは異性愛者の女の人客は必ずしも歓迎されている訳ではなく、中にはそういった場の空気を読めない女の人に対して辛く当たるゲイもいるとの噂もあります。

新宿の待ち合わせはめぐりあえるのか?!

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ゲイのお店の特性

 基本的にゲイバーやゲイクラブ等は各商店であまり友好的ではなく、むしろ敵対意識が強いところもあったりするのですが、それでも質の悪い客や悪さをする客等の情報は連絡網で一帯に伝わり、協力体制を敷いて駆逐するという任侠の文化があると言われています。個々商店では仲良くない物の、二丁目を守るという目的においては団結を惜しまず、お互い手を取り合う動向があると言われています。しかし、それも最近では昭和から平成への移り変わりによってマスター、ママの世代交代が進んだことによって、若年層の店主が増え始め、二丁目を守るという意識は徐々に温度差が生まれ始めているというはなしもあります。

 国内外の著名人も多数お忍びで訪れるが、それらの情報は秘匿にするマナーも有する街です。各商店・テナントは又貸しが多く、敷金礼金が不要なケースが良く見られるがその代わり家賃が高いシステムが多いです。2000年(平成12年)から、渋谷のパレードの協賛行事として新宿二丁目振興会を中心に企画された、ゲイ・レズビアンのためのイベント「レインボー祭」が毎年開催されています。第一回目は目抜き通りが通行止めにされ約1万人より上の人出で賑わった。

雨の日にありがたかった「サブナード」・・。

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戦後初めてできたゲイバー「やなぎ」

 戦後初のゲイバーは昭和20年、新橋の烏森神社参道に開店したお島さんが経営する「やなぎ」といわれています。比較的女装バーの色合いが強い店でしたが、この店は「青江のママ」こと青江忠一、「吉野のママ」こと吉野寿雄両人のような女装の名物ママを輩出したバーとしても知られています。

 またやなぎには、江戸川乱歩、アラン・ドロン、ピエール・カルダン、イブ・サンローラン等の著名人も訪れており、この後、三島由紀夫の小説「禁色」に出てくるゲイ・バア「ルドン」のモデルとなるゲイ喫茶「ブランスウィック」も、銀座尾張町(現・5丁目)に開店します。同店には美輪明宏がボーイとして働いていて、その時吉野は客として訪れています。その他神田には1949年(昭和24年)に開店した「シルバー・ドラゴン」がありました。

 このころはまだゲイバーという名前では呼ばれておりませんでしたが、しばらくして新宿初のゲイバーと呼ばれる場所が登場します。

新宿初のゲイバー「夜曲」、二丁目初「イプセン」

 新宿初のゲイバーは、新宿角筈の「夜曲」で、二丁目初となるのは昭和26年、要町界隈にできた「イプセン」といわれます。

 イプセンは当初は喫茶店でありましたが、口コミでゲイバー化していき、昭和28年に夕刊紙で「男色居酒屋」として取り上げられてから知る人が増えたそうです。その後1954年には、「蘭屋」という前田光安が銀座に開いていたお店が新宿御苑近くの新宿二丁目千鳥街に引っ越し、翌1955年には要町界隈に2度目の引っ越しをします。辺りはこの2店のほか、「ラ・カーヴ」、「ロートレック」、外国人客が多かった「SHIRE(シレ)」等のゲイバーと同じく新宿ゲイ・タウンの礎となる街を形成します。夜曲では昭和37年9月6日に経営者が店のボーイに殺される「新宿ゲイ・バー殺人事件」が起きて新聞でも大きく報じられ、大新聞がゲイという人たちがいることを最初に知らせた事件と言われています。

バブル時期より後のゲイブーム

 バブル後に一度ゲイブームが訪れます。文学や映画、ドラマでもゲイに関する作品は多く登場し、その中でもゴールデンタイムの全国放送で、主役にゲイを登場させ、大胆な同性愛シーンで衝撃を与えた日本テレビ系『同窓会』 (1993年)は、放送時間帯には新宿二丁目の人影がまばらになったといわれています。「同窓会」では野外発展場や二丁目の売り専バーが出てきて衝撃を与えた。また「同窓会」に出てくるゲイバー「スプラッシュ」の店名はニューヨークに実在したゲイバーから取られ、セットは二丁目に実在した「ZIP」がモデルでした。

 基本的にゲイディスコに関してはこれまでもそれまでもありましたが、1989年に日本初の一般向けクラブでの「ゲイ・ナイト」が開かれます。これはアキ企画アキ企画代表の川口アキヨシやユキ・インターナショナル代表の加藤ユキヒロらがニューヨークのクラブカルチャーを吸収して持ち込んだもので、1989年の5月13日に花園神社裏の「ミロス・ガレージ」で記念すべき第一回目が行われ、以後は毎週土曜日に開催されました。